北海道旅行中の遭難(台風&地震)記録(3)― 地震とその直後の対応

突然揺れた

9月6日木曜日AM3時過ぎ、ひょっとすると目が覚めていたのかもしれない。いずれにしても、スマホとガラケーからだと思うが、けたたましい音が聞こえ、同時に大きな揺れを感じた。東日本大震災時(@東京・ビルの高層階)で感じた揺れとは違った。周期が速かったような気がする。揺れ幅はそれほど大きくなかったかもしれないが、建物が建物だけに倒壊の恐れが頭をよぎった。

即座にテレビをつけようとしたが、つかない。停電だった。しばらくして外からラジオの音が聞こえてきた。また、会社員同士の会話とホテルのオーナー兼従業員らしい人の声も聞こえてきた。震源地からは割と遠いらしく、どうやらすぐに避難の必要はなさそうだ。

外はまだ暗い。明るくなるまで待つことにしたが、いつでも逃げ出せるように、手探りで服を着、靴を履いて横になりながらラインで家族に無事を告げた。何回かラインでやり取りしたが、バッテリー温存のため打ち切った。Garminの脈拍計で計測したら脈拍80で高ストレス状態と判定されていた。

駅で待機

夜明けまで待ち、その後ホテルをCheck outした。ホテルでは、朝食を用意していてくれたらしい(ガスをつかってごはんを炊いてくれた、親切なホテルだ)が、食べずに外へでて駅へ向かった。 途中、廃屋だろうか?建物が崩れて道にはみ出しているのが見えた。

信号はすべて動いていない。全道停電なので仕方ない。車は走っていた。ガソリンスタンドでは長蛇の列ができていた。長い一日になるなと直感した。この日は一日中、断続的にサイレンの音が鳴り響いていた。

駅に着いたが、電気は来ていない。それでも駅員さんは事務所にいた。状況の確認と、再度切符を延長できることを確認した。

その後、とりあえずコンビニで食料を買い、駅に戻り、Ipadより定期的に情報を入れるようにした。

ガラケーに関しては、電源を切り、モバイルバッテリーも温存することにした。震災があった後なのに、灯りがない事とサイレンの音以外は割とのどかな感じがした。ここで昼過ぎまでは待ってみようと思い、今回全然読んでいなかった小説を読み始めた。

判断を誤った

駅には、おなじような方が何人かいて、そのうちの1人は、タクシー・フェリーを乗り継ぎ本州へ渡ろうとこころみたようだ。今思い返せば、これが最善の方法であったし、実際に可能であった。

しかし、自分は判断を誤った。船酔いするので、長時間船に乗りたくないなと考えたのと、フェリー料金をケチった。また、列車が走る方面(函館方面)に大きな被害が報告されていなく、電気も復旧できるであろうとの見方があり、あと一泊すれば帰れると踏んだのだ。

避難所へ

しかし午後3時を過ぎても一向に辞退が好転する兆しはなかった。
あきらめて、暗くなる前に、コンビニでビタミンドリンクを2本買い、自主避難場所の一つによらせてもらった。

自主避難場所では、徐々に人が集まってきているところだった。畳部屋に通され、自分は隅の方で横になった。

灯りは、緊急発電用の電源を用いて確保されていた。(少し暗いが)水道・トイレが問題なく使えたのはありがたかった。

部屋では、ラジオが流されていたが、その音をかき消すように、地元の方々が不安をまぎらわすように会話されていた。夜に近づくと、毛布とカンパンが支給された。お湯もポットで提供された。自分はカンパンを冷たいお茶とビタミンドリンクで流し込んだ後、ラジオで聞いた知識によりスマホを省電力モードにした。灯りがまぶしかったのでタオルで目を覆って今後の事を考えた。ほどなく眠りに落ちたようだ。

十時ごろだろうか?ふと目が覚めると、電気は暗くなり地元の人も、眠っているようだった。しかし、家族旅行者だろうか?くらがりでヒソヒソ話で会話している。静かな声なのだが、どうも気になる。カナル型のイアホンで耳をふさいで再度寝入った。なぜか、強い不安で眠れないという事はなかった。

(続く)

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投稿者: 楽庵

白け世代とバブル世代に挟まれた新人類世代の1人です。 2018年に定年を待ちきれず、サラリーマン生活に終止符を打ち隠居生活を始めました。 東京の片隅でのんびりと生活しています。

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