北海道旅行中の遭難(台風&地震)記録(6)― 帰京

一息つく

9月8日 新函館北斗駅到着後、指定席をとろうと緑の窓口に並んでいた。責任者らしき人が横を通りかかったので確認のため指定席の変更可否を聞いたところ、切符のあまりの変更の多さに同情したのか、改札に案内してもらい優先的に指定席の切符をとっていただいた。あと1時間半後の出発だ。

お土産屋や飲食店をのぞいてみた。ここでもまだ、生鮮類は難しいらしい。駅弁も入荷できていなかった。そろそろお昼、ここのところ麺類ばっかり食べているので違うものを食べたかった。でも、やはり麺類やカレー位しか提供できないようだ。焼きそばに餃子とウインナーを載せてランチとした。

改札をとおり、お土産屋で、サッポロクラシックと北海道限定のニッカハイボールそして鹿ジャーキーなどをお土産に買った。節約旅なのでお土産などは買う予定はなかったが、心配をかけた妻へのおわびと、まだ被災中であり、かつお世話になった北海道にお金を置いていきたいという事で手持ちの現金から拠出した。

いよいよ帰京

北海道新幹線は定刻通り発車した。盛岡あたりから徐々に人が増えていき、仙台は乗降客とも多かったのだが、自分の隣の席はずっと空いていた。席を予約したにも関わらず、乗れなかった人がいるのだろうか?

新幹線の中では、dマガジンをみたり、今回の旅を振り返ったりしていた。福島県の新白河あたりからいくつかトンネルをくぐり栃木県那須近辺に到達し、その後トンネル通過がなくなったとき、“関東に帰ってこられた”と実感した。

祝杯

ターミナル駅まで妻が迎えに来てくれていた。何でもごちそうしてくれるといってくれた。ここのところ、生鮮品を食べられず炭水化物しか食べてないなと思い、(北海道から帰ってきたのにも関わらず)海鮮居酒屋で、刺もりとホッピーで祝杯を挙げた。

こうして、右往左往してしまった4泊5日の被災地滞在は終わりを告げた。この度の反省と教訓は次回まとめようと思う。

(続く)

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投稿者: 楽庵

白け世代とバブル世代に挟まれた新人類世代の1人です。 2018年に定年を待ちきれず、サラリーマン生活に終止符を打ち隠居生活を始めました。 東京の片隅でのんびりと生活しています。

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